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一生を終えてのちに残るのは

一生を終えてのちに残るのは
われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである

先日、数年ぶりにこの言葉を聞く機会がありました。

手元に集めたものは自らの死とともに消えてなくなる。
でも、与えたものはそうではない。
両親から受け取った有形無形の施しを、自らの肥やしにするだけでなく、たすきリレーのように次の世代に伝えていく。
これこそ、自分が生を受けた意味なのかもしれない。

という投稿も思い出しました。

最近、つくづくと

禍福は糾える縄の如し(幸不幸はより合わせた縄のように表裏をなしていて予測出来ない)

を実感します。

先日、民家近くの木でお困りごとの相談を受け、役所の担当者に私からお願いし、すみやかに伐採をいただき、
住民の方からお礼のお手紙をいただきました。
住民の要望に応えることは、議員の仕事として当たり前ですが、やはり嬉しいです。
役人も政治家も人間ですから、感謝の言葉をかけてもらえるとまた頑張ろう!という気持ちになります。

年末から激動ではありますが、これからも前向きに頑張っていきたいなと思います。

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